光の雫を飲む

おれの部屋の冷蔵庫。ブラウン色の冷蔵庫の奥には、氷砂糖をみしみしと敷き詰めたような山がそびえたっている。

どこでも手軽に買える日本酒の定番の一つである〈菊水〉の350ml缶である。近所のセブンとかに行くたびに少しづつ買いためてこの量になった。

冷蔵庫の淡い照明の下でにぶい輝きをたたえるアルミ缶。金色と赤を基調にしたパッケージは実に鮮やかで、冬の日本海を思わせる渦巻く荒波のなかに堂々と立ちあらわれる「菊水」の二文字が印象的だ。半透明のプラスチックの蓋の少しざらりとした触り心地がまた涼やかだ。

毎日の資源。

ーー冷たくねばつく営業仕事を晴れて退職して、それで毎日毎日好きなだけこの6畳間の宇宙に憩って、ソファーに横たわってゆうゆうと菊水をたしなむーー

菊水の山を眺めているだけでロマンをかき立てられる。

コンビニやスーパーには安価な酒がいくらでもそろっている。でもこの酒は一味違う。たとえば大きなペットボトルに持ち手がついてるガソリンみたいなやつとか、変なだらしない魔神が印刷されてるうすい紙パックのとか、そういうただただ酔うための「末期の酒」とはちがうエレガンスをたたえている。

なにより豊かな米の味がする。アルミ缶のシャープな口当たりが好きで、その水晶のように澄んだ口当たりと、腹のあたりから甘い煙のように立ち込めてくる酔いの感覚がたまらない。

いわゆるちびちびすするときの音、つまり〈ッツ〉というよりはもっと大きく〈ゴクゥォァ!〉といったリズムを意識して飲む。熱い塊となった菊水が喉元を滑り降りていくのを感じる。

夏場なんかは部屋の窓を開け放してほぼ一気に飲み干してしまう。ときおり意味不明の呻き声なんかをあげてるときもあるけど、そのまま寝落ちたりはしない。おれはサラリーマンブルースへは絶対に堕落しない。

おれはアル中じゃない。一日一本以上は飲まないことが自分に課したDeciplineで、この制約が自由を生んでいることをおれは知っている。

この前ウェブマガジンで読んだのだが、NYのどこかのバーでは〈菊水〉を缶のまますするのが粋とされているらしい。カウンターで洒落たジンやカクテルなんかに取り囲まれた〈菊水〉はひどくりりしく見えた。なるほど目の前のこの一本がNYにつながってるんだ…!と思うと途端に広々した気持ちになる。おれの青くてじめじめした6畳間から世界へと接続される感覚がたまらない。

九月。窓を開けると部屋にはかすかに緑の匂いが流れてくる。金属のプルをキリキリときしませて開封する。清潔なアルミ缶の中でかすかに虹の色を帯びた液体が揺れているのをただながめている。

来年あたりは新潟の酒造をひとりでめぐってみようと思います。