オロナミンはおれのBrave Lancer/朝の魔

 目の覚めるような赤い色彩。竜の模様を流している黄色。今にも寝落ちそうなおれのまぶたに染み入る光は暖かかった。背面からわずかにせり出した缶やペットボトルの連なりから元気一杯に飛び出すようにして、色鮮やかなポップが輝いている。ああ寝床に帰りたい。今すぐ寝床に戻ってしんしんと眠りたい。それか、一日中好きなだけ菓子をむさぼり食って過ごしたいーー自分でもびっくりするほど素直な言葉が自分の胸に湧き出してくる。ぼんやりとした意識の中、おれは打ちのめされたように駅のホームの自動販売機に目を漂わせている。ポップの光がまぶたの裏で淡く脈打ち始めて正気に戻る。そしてようやくポップに印刷された言葉が入ってくる。

〈朝だゼぇぇ皆んなああああ出勤スイッチONでエネルギィィィッシュ!!〉

 ひときわ目立つ缶コーヒーだった。拳を突き上げて勇ましく叫んでいるスーツ姿の男性、ちょうど非常階段の棒人間を底抜けに陽気にしたようなポーズを取った仲間たちが、柔らかな笑顔をたたえて彼を取り囲む。周囲にバチンバチンと無数に降りそそぐ黄色い稲妻の特殊エフェクトが、彼らがこれから突入するまぶしいエネルギーがみなぎる能天気な世界をさらに盛り立てていた。

 はァァ?朝にこんなに明るい言葉が弾けているさまが不気味だった。おれは呆気に取られ、しばらく放心してしまった。

 いや通勤スイッチってどんなスイッチだよ(笑)と思ったのは事実だけど、学生時代からしっとり育んできたPedanticな世界を無様に磨りつぶす感じかよ(笑)という気持ちも心の奥の方からふつふつと泡立っては来たけれど、おれも朝を乗り切るための一本が欲しかった。あらゆる暗さがそこらじゅうから噴出する朝に抗う一本が欲しかった。

 それから毎朝、おれは朝の一本を探すべく、自販機に並ぶ色々なドリンクを買っては飲んでみた。たとえばLG-1乳酸菌を含んだとろりと濃厚なヨーグルトドリンク、あるいは青森産の100%リンゴジュース、それからサンフランシスコの有名コーヒーチェーンが監修した黄金のミルクラテーー

 で、結局だめだった。どのドリンクもさも朝を乗り切るエナジーを与えてくれるかのようでいて、「今日も一日がんばるぞっ!」というアティテュードを空回りさせるだけというかほぼ強がりというか、その健やかなトーンにかえって冷たくねばつく朝の憂鬱がくっきりと照明される感じがしてだめだった。

 特にひどかったのが期間限定のレモンティーだ。「地中海の爽やかな風と気高い香りがふわりとただよう癒しのひと時」って、、だからその癒しやリフレッシュそのものが一日の労苦の暗示なんだよ!アアア!

 湿気でだらりとくたびれた会議資料、上司の岡田がたくましい顎の骨格をムスッと歪めたときの不機嫌な顔、オフィスのカーペットの化学繊維の匂いーーこれからおれを待っている労苦のイメージが毒気のある沼から立ち上るもやのように浮かび上がってくる。どうやってもけっきょく朝はだめだ。ただ耐え忍ぶほかはないのだ、、(;´Д`)

 おれはうつむいてほどけかかっていたネクタイを締め直した。ホームを行き交うサラリーマンや学生の靴底でなすられてだらしなく伸びた赤いガムがコンクリートに張り付いていた。おれはそれをぼーっと眺めている。まぶたにはもう、朝特有の冷たい空気の感触しか残っていなかった。

 そして一月、二月が過ぎた。ある日突然差し込まれた祝福だった。自動販売機に目を漂わせ、右端の目立たないところで見つけたダークな褐色の瓶。さんざん見覚えのある名前がそこにあった。いやオロナミンCかよ、、まあこれはないわ、、しょせんあまりにベタな使い古された記号だ。前時代にみなぎっていた活力の残滓だ。

 しかしどうだろう。まるで期待せずにボタンを押してみると〈ズシャアアアア!!〉などと大げさなまでにヘヴィーな音を立て鋼のトレイへ崩れ落ちるオロナミンの瓶。あまりに大きな音に一瞬まわりの視線を集めてしまう。気に入った。無様に滑った漫才師が谷底へ身投げするようなそのさまが気に入った。おれはまったく陽気な気分だった。手に取ってみると予想以上にゴツゴツとして、不思議と手になじむ瓶から指先へと伝わってくる冷たさがとても心地よかった。

 おれはついに目前に迫った朝に光の前兆に震えていた。なりふりかまっている余裕などなかった。すかさずアルミのプルに右手に指をひっかけて、一瞬のためのあと、力をこめて引きちぎるように開封する。わずかな飛沫が弾けるとともに濃密な香料の匂いがむわりと立ち込める。右手に瓶を握りしめ、左手は腰に当てて、大きく身をのけ反らせて一気に身体へ流し込んだ。

!!!

 はっきり言って圧倒的だった。むせ返るような強烈なビタミンの匂いに混ざるわずかな花の香り。それらと力強く調和して一体となったパワフルな炭酸が口中で弾け飛ぶ。そして喉元を滑り降りていく爽快な流れ。完璧だった。格式あるケミカルドリンクとしての威厳すら感じた。

 おれの朝に必要なのはつまり、この美しい退廃を含んだうるわしさだったんだ、、驚くべき発見に目を瞠って、これだああぁぁ!などとその場で大声をあげてしまった。まわりの視線を集めてしまう。どうでもいい。そんなことはなんでもないのだ。

ーしかし、こうして凝縮されたエキスをさっと一気に啜る所作にはイタリアンエスプレッソ的な粋があるなー

 おれはもうどこだって行けるような、風が吹き抜けるような爽快な気分だった。おれは美しい退廃の流れに満たされた男、イタリアンな粋をたしなむ会社員なのだ。通勤生活を粋にサヴァイヴする立派な影なのだ。

 やがてホームへ滑りこんできた電車のドアが開くと、身を潜めるようにして、そそくさと車内へ乗り込んで行った。

 それから毎朝オロナミンCを飲んでいる。今やおれは勇ましい。おれは気高い影なのだ。

 おれを朝から救ったのは、まぶしい人工の香料とイタリアンな粋だった。

 それにしても、駅のホームで飲むドリンクにはどんな意味があるのだろうか?なんとなく手持ち無沙汰で飲んだり、仕事前に気持ちを引き締めるため、新商品をテイスティングするのを趣味としている酔狂な人もあるだろう。あるいは朝のささやかな息ぬきとして?ちがう。おれにとってそれは灰色の一日への宣誓であり、生活へふりかざす爽快な暴力だ。

 オロナミンはおれのBrave Lancer(笑)

 ついに朝の一本を手に入れたおれは、今日も自販機のボタンを押しに、あのうるわしい琥珀の流れを自分の中へ注ぎこむために、くらい寝床から這い上がるのだ。