山菜の形容

 最寄駅の改札前に立ち食い蕎麦屋がある。いわゆる駅の蕎麦屋。天ぷら蕎麦からカツカレーセットまで、とりあえず化調でドライヴさせて一口目の感動だけ打ち込んでくるような、可もなく不可もないメニューが並んでいる。それでも毎日この駅を利用する8000人くらいの虚ろな食欲を一手にになっているのだから立派なものだ。どうやっても生活の動線上に入ってくるものだからおれもよく利用してる。たとえば8時5分の電車に滑り込む前に駆け込む。休日もふらっと入る。

 おれが毎回決まって頼むのは山菜そばだ。スープと、何種類も入ったにぎやかな山菜と、毎朝店内で挽いているというぼそぼそした麺の独特のグラデーションが好きでいつしかはまった。ときどきここのダシに胃が渇くのを感じる。おれの必殺である七味の乱れ打ちとの相性も抜群だ。

 食券機の右から3番目の上段のパネルを押すと、気づかないようなかすかな調子で、つやつやした紙の食券が落ちてくる。

 厨房へ差し出すと店員がかすかにうなずいて調理がはじまる。前もって茹でられた麺がちょうど一杯分にもっそり小分けされて、ダルだるそうな獣の群のように店員の背後に並んでいる。それをおもむろに手にとって、持ち手のついた筒状のザルへ入れて、煮えたぎるお湯へ投入する。木の棒で10秒ほどガシャガシャとかき混ぜる。銀のステンレスプールに輝いているダシを、おたまでなみなみとすくって注ぎ入れる。厨房に勢いよく湯気があがる。そこへパウチに入った山菜ミックスを乗せて完成だ。

 「あざます」うやうやしくトレイを受け取ると、カウンターにある七味をザン!ザン!と丼の上へぶちまいて鮮やかな赤が世界のように積もる。うまそうだ。そしておれは湯気を揺らしながら窓際の席に着く。レンゲはないので熱々の分厚い丼を親指と人差し指でがっちりとホールドしてまずツユをすすりこむ。不自然なまでに強烈なかつお節と昆布の風味が最高だ。麺をすする。小麦の香りが広がる。そして噛み締めるセリ!アザミ!コシアブラァ!ゼンマイィィ!!それぞれの食材からみずみずしい味わいと香りがあふれだしてくる。

 おれは全身へと響いていくその味わいにどんな言葉を絡ませていくべきか思案していると、入り口のスライドドアがきしませながら客が入ってくる。半端な時間だったのもあって、この日はめずらしく店内の客がおれだけだったからつい目がいった。

 40代半ばくらいだろうか、黄色と茶色のブロック柄のほぼボロ切れのようなネルシャツを着た男だった。まあ分かっていた。この店には実に幅広い年代の様々な職業の客がやってくるが、この時間帯には、だいたいこういうトーンの男が薄明るい光に群がるようにして集まってくるのだ。

 さっきと同じように厨房から麺を切る音、出汁を注ぎ入れる音、それから山菜パウチを丼へ放り込んだ時の《まショ》という独特の湿った音がした。

ーー山菜そばか。これだけメニューがある中であえて山菜を選ぶとは、こいつ、できるーー

 うっすらと淡い連帯感すら感じていた。その男はちょうど窓際の席で身をかがめてそばをすすっている。明るい湯気に埋もれている。やがて細いうめきごえのような感嘆をもらした。

「あまじょっぱいなー、しみるなー」

 おれはがっくりとうなだれてしまった。いや〈あまじょっぱいなー〉って、、負け戦の帰り道で春の日差しにまどろむ野武士かよお前、、とたんに生きることの侘しさが押し寄せてくる。そのネルシャツのチョイスとかすごい良いと思うけどちげえんだよ、、

おれは〈あまじょっぱいなー〉にまとわりついたトーンがどう飲みしても込めなかった。変にまるい響きだ。みじめに噛みしめるような調子がある。せっかくの食事がわびしいブルースに堕落してしまう、、アアア!では、余分なトーンを振り切るだけのスピードを持った名前はなんだろうか。噛みしめる山菜から、この化調でドライヴされたダシが洪水のようにうるわしく染み出してくる感じをどうしたら表現できるだろうか、、

おれはテーブルにほぼ突っ伏すような形で、しばらく考えて、ふと思いついたのだった。

ーー最後のじょっぱいなー、の、いなー、で丸くなるから惨めなんだ。すこし直線的にして〈あまじょっぱー〉なら悪くないな。あるいは、降りしきる恵みの雨のようなニュアンスを含ませて〈雨じょっぱー〉はどうだろう?うん、悪くないな!それから少し字面をすっきりさせて〈AMAジョッパー〉にしてみるか!うん、いいな!AMAジョッパーで行こう!ーー

まあ声に出してしまえば分からないんだけど、そこが粋かな、と思った。AMAジョッパー!AMAジョッパー!おれはしっくりくる竹刀を素振りするようにして、なんども心の中で唱えながら改札をくぐり、ホームへの階段を軽やかに駆け下りて行った。

 

それから数日後。おれは同僚の池本君とこの店を訪れる。

「池本君、ぜひ山菜そばを食べてみてくれ」

窓越しに改札が見えるテーブル席でむさぼり食う。

「ああうまいな!なんていうのかなあ?山菜がAMAジョッパーって感じだな!すっげえ山菜AMAジョッパーだわ!」

おれは日頃からこの店に通うものとして軽く先輩風を吹かせつつ、ここ数日で磨き上げた言葉を得意げに叫んでみせる。

池本は無言のまま一気に完食してからつぶやいた。

「やさしい稲妻みたいだな」

おれは目の前に滴り落ちた本当の言葉を前に、ただ空になった渦巻き模様の丼を見つめている事しかできなかった。