冬の朝。千代田線の窓から射す陽の光は白々と透きとおって明るい。目を閉じたおれのまぶたに光がしみて、無数の微細な血管が脈打つのを感じる。15分のささやかな癒しの時間だ。

 

おれは目覚めの身じたくを乗り越えてオフィスに向かっている。あああ、鮭松さんに頼まれたというのに、もう3ヶ月も手をつけていない書類が5つほどあって、それを思うと全身の血液が逆流するようないやな気分だ。「すみません、書類のことですが、あと一週間かかりそうです」メールひとつ打つのに震えが止まらなかった。鮭松が淡水魚の骨格をムスッと歪ませる姿が浮かんでくる。全部合わせて2時間もあれば終わったのだろうから、まあ3ヶ月も寝かせたおれが悪いのだが。

 

朝それ自体はやっぱり匂いで感じるものだなあ、と思う。朝の電車の匂いには、まるで世界そのもののような厳かさがある。するどい柑橘類を思わせる整髪料の匂いや、汗の匂いや、家庭を思わせるアイロンのまるい匂い、それらが全て合わさって病的な「健康」の匂いがする。そこへ出勤の倦怠と悲壮が混ざり合って朝の空気になる。

 

つり革のあるところにポジショニングできれば楽なのだが、おれは晴れた日は決まってあえてドアの側を選ぶ。窓に体を預けて陽の光を浴びるのが習慣だ。

 

車内が混んでくると、「これドアしなってんじゃねえの」とという具合に車内がパンパンになって、自然とおれの掌がドアのやわらかい硝子に張り付くようになるのだが、よく見るとそこには油のようなものが縞になってこびりついている。しばらく不規則な模様にぼーっと魅入ってしまう。それは陽の光でうっすら虹の色を帯びていた。

 

ばかですよ?

 

ちょうど亀有駅に着いたあたりで、雲間が開いて完全な青空となった。冬の澄んだ空気が漂う朝の街はとても穏やかに見えた。窓からはさらに暖かい、圧倒的な陽の光が差してくる。朝の空気でギシギシになった車内を冬の陽が射抜く。車内にみなぎる汗の蒸気がはっきりとした粒になって一瞬揺れたのが見える。

 

手につかない会議資料の作成、滞納した電気代の支払い、鮭松の淡水魚の骨格、帰りにむさぼり食う海老のかき揚げ丼、土曜日のわびしさ、リバティの布、Jana Hunterの3コードの響き、去年の紫陽花の庭、オロナミンの弾ける炭酸、おれのネクタイ、おれの朝、週末に地方のワイン蔵をめぐるプラン、木曜の新しい事務処理要綱のプレゼンーー

 

大きな川を渡った時、窓の隙間から一瞬、むせかえるような草や水や光の匂いが流れ込んできた。おれはもう全身の体重を預けて窓にもたれかかって束の間の朝の光に身をひたしていた。